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母方のお爺ちゃん、佐々木利三郎氏は
社会科の先生で
バイオリンを弾いて
校長先生で
書家で
私が3歳のときに亡くなったらしい。
抱っこされた写真は残っているが記憶はない。

象潟駅の前にある
お爺ちゃんの字。
お婆ちゃん、佐々木イヱは
家庭科の先生で
お爺ちゃんより1歳年上だったと聞いたような。
でも当時、男の子しか育たないのを心配したお婆ちゃんの親が
「亡くなった女の子の戸籍をこのまま残して次の子に使うと良いらしい」
と役所の職員にアドバイスされて
2歳か3歳、早く産まれたことになっている、と聞いたこともある。
そんな時代だったんだなぁ。
お陰さまでこうして子孫を残し、80を超えて亡くなりましたが。
「お爺ちゃんとは今はやりのオフィスラブだったのよ(笑)」と言った
女性らしい瞬間があったのを覚えています。
社会科の先生で
バイオリンを弾いて
校長先生で
書家で
私が3歳のときに亡くなったらしい。
抱っこされた写真は残っているが記憶はない。
象潟駅の前にある
お爺ちゃんの字。
お婆ちゃん、佐々木イヱは
家庭科の先生で
お爺ちゃんより1歳年上だったと聞いたような。
でも当時、男の子しか育たないのを心配したお婆ちゃんの親が
「亡くなった女の子の戸籍をこのまま残して次の子に使うと良いらしい」
と役所の職員にアドバイスされて
2歳か3歳、早く産まれたことになっている、と聞いたこともある。
そんな時代だったんだなぁ。
お陰さまでこうして子孫を残し、80を超えて亡くなりましたが。
「お爺ちゃんとは今はやりのオフィスラブだったのよ(笑)」と言った
女性らしい瞬間があったのを覚えています。
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